吉見百穴(吉見町)/コロボックル人の住居と思われていた、古墳時代の墓穴

史跡、観光地、
この記事は約2分で読めます。

吉見百穴(よしみひゃくあな):比企郡吉見町

1923年、国の史跡に指定。「ひゃくあな」「ひゃっけつ」2つの呼び方が存在しています。吉見町のサイトでは「ひゃくあな」、文化庁・国指定文化財等データベースでは「ひゃっけつ」。219以上の墓穴が確認されています。タレントの若槻千夏さんが地元である事を公言していますね。

吉見百穴が科学的に調査が行われたのは明治20年(1887)。坪井正五郎により本格的な調査が行われ、当初は「住居として使われ後に墓穴となった説」が有力だった。日本にかつてあった先住民族『コロボックル』のものであるとする説。(プレ・アイヌ説と呼ばれる人類学的仮説)のちに「古墳時代後期に墓穴として造られたもの」と明らかになる

坪井正五郎:日本初の自然人類学者。考古学・人類学の普及と確立に尽力。日本石器時代人=コロボックル人説を主張した事で知られる。※カルビーのスナック菓子「じゃがポックル」の名前は「コロポックル」に由来。古墳時代後期:6世紀末頃。ヤマト政権では曽我氏が権勢を誇り、のちに大化の改新が起こり律宗国家へと進んだ時代

勾玉作り体験も出来ますよ

凝灰岩(ぎょうかいがん)の岩山。近くで見るとすごい数。

1944~45年の戦時中、地下軍需工場建設の為に10数の横穴が壊されました。中島飛行機大宮製作所の「航空機の部品製造」、「武器庫」として使用。ここでの労働は3000人以上の朝鮮人が従事したそうです。

中島飛行機大宮製作所:現在の富士重工(SUBARU)。第二次世界大戦後の1945年、中島飛行機が平和産業=民需中心の製造業へ転身し社名変更しています

びっくりするくらい奥まで続いています

火山灰や火山砂でできた凝灰岩山で比較的加工し易いとは言え、横穴を掘るのはとても大変な作業。埋葬されたのは一部の有力者に限られたようです

穴の中には棺台が設けられていました。ここに横になり埋葬されてた光景が目に浮かびます

穴の中から見るとこんな感じ

登ると遠くの山まで見渡せました

頂上まで登ったらカフェらしき建物。休みかな

多くの土器が出土

駐車場に沢山の桜の木

春は気持ちよさそう

タイトルとURLをコピーしました