庚申塔やお地蔵様などを気にして見ていると「十九夜」と彫られた石塔を見かけました。
「十九夜」だけではなく「二十三夜塔」又は「二十三夜供養塔」などと刻まれた石碑もあり、庚申塔、道祖神、馬頭観音等と並んでいる事が多いです。これらは月待塔(つきまちとう)と呼ぶそうです
月待塔(つきまちとう):庚申講(こうしんこう)と同じく人々が集まり月を信仰の対象として「講中(こうじゅう)」といわれる仲間が集まり、飲食をし、お経などを唱えて月を拝み、悪霊を追い払うという月待行事を行い、その記念や供養のあかしとして建てられたもの
- 江戸時代から昭和の初期にかけて日本各地で盛んに行われた
- 他に、十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜などの特定の月齢の夜にも行われた
- 二十三夜は月齢でいう「下弦の月」月が出る時間がほぼ午前0時で、その時刻と幻想的な月の形が信仰と重なり、「二十三夜」を一般的なものとしたようです
- 「十三夜:虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)」「十五夜:大日如来(だいにちにょらい)」、「十七夜から二十二夜まで:観音様を本尊」「二十三夜:勢至菩薩(せいしぼさつ)」を本尊として祀る
勢至菩薩は、智慧(ちえ)の光をもっており、あらゆるものを照らし、すべての苦しみを離れ、衆生に限りない力を得させる菩薩といわれています。月は勢至菩薩の化身であると信じられていたことから、二十三夜講が最も一般的で全国に広まったとも言われています。中には「三日月さま」の塔も分布し、集まる月齢に関しては地域的な片寄りもみられます。
二十二夜供養塔もありました
今の様に科学や医療が発達していない昔は死亡率も高く、成人に育つまでが気が抜けませんでした。今では想像できない程の信仰心を持っていたのでしょう
小川町「大梅寺:曹洞宗」、二十三夜塔
私が訪問している埼玉県では、十九夜から二十三夜の供養塔が多いようです。今後「十三夜供養塔」、「十五夜供養塔」など見かける事があれば追記いたします。