東明寺(川越市)/天文15年、上杉と北条の夜戦場

埼玉県の寺
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稲荷山称名院 東明寺(とうみょうじ):川越市

宗派  時宗

本尊  虚空蔵菩薩

【寺院縁起】

東明寺は、時宗(開祖一遍上人)の寺で稲荷山称名院東明寺(いなりさん しょうみょういん と称し、本尊は虚空蔵菩薩である。
お寺の位置は、川越台地の先端が水田地帯に接する北の端にある。このあたりからは、新河岸川(しんがしかわ)を境として川越の町の北側を入間川を主流とする分流が幾筋も流れ、水田地帯を形成されており、古くからこの穀倉地帯を領する多くの武士団が存在した。東明寺は、こうした土豪の一人河越氏の庄園の東端に連なる広い寺領を有していた。その寺領は、東明寺村、寺井三か村、寺山村などに及び、広大な境内を有して、その惣門は今の喜多町の中ほどにあったと伝えられている。このことから、喜多町の古名を東明寺門前町と称したといわれている。天文15年(1546)4月に戦われた上杉・北条軍の川越夜戦は、一名東明寺口合戦といわれ、この地の要路松山街道を含んだ東明寺領と境内で争われたものである。

川越市のメイン通りから少し離れ落ち着いた雰囲気

山門:派手さはありませんが、どっしりと堅牢な印象。大棟の鬼瓦は「経の巻型」※お経の巻物に似ている事から経の巻、と呼ばれます

寺案内抜粋:お寺の位置は川越台地の先端が水田地帯に接する北の端にある。このあたりからは、新河岸川を境として川越の町の北側を入間川を主流とする分流が幾筋も流れ水田地帯を形成しており、古くからこの穀倉地帯を領する多くの武士団が存在。東明寺はこうした土郷の一人河越氏の庄園の東端に連なる広い寺領を所有

河越氏については川越市:常楽寺の記事で詳しく紹介しています。是非、ご覧ください

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川越夜戦跡の碑。天文15年(1546)4月、寺領と境内で行われたと伝わります

川越夜戦:室町時代に起きた川越城をめぐる戦い。川越城(1457年完成)はこの地を治めていた扇谷上杉氏がライバル勢力だった足利家に対抗するために建てた城でしたが、1546年に北側氏綱(うじつな)によって占拠されます。扇谷上杉は北条軍に奪われた川越城を奪還する為、山内上杉憲政・古河晴氏と約80000人の連合軍を結成。一方、包囲された北条軍は約3000人。圧倒的不利に思われた北条方でしたが、「攻めると見せかけ退却する」動きを繰り返し敵を油断させ、闇夜に奇襲攻撃をかけ見事勝利したと伝わります

※川越夜戦については詳しい文献が少ない事、諸書により曖昧な点もあるようです

その後、豊臣秀吉の小田原征伐の際に前田利家の攻撃を受けて落城。徳川家康が関東に配置換えになった時に家康の領地となる

本尊は虚空蔵菩薩(こくうぼさつ)。詳しく説明されていました

虚空蔵菩薩:知恵と福徳を大空(虚空)のように無尽にお持ちである事から。わが国では平安時代から信仰され求聞持法(ぐもんじほう)と呼ばれる。頭脳を明晰にし記憶力を増すための修行をする時の本尊。後世になって一般大衆に広く仏教が広まるに従い福徳の面が一層強く信仰され、現在のように学問と福徳を授ける菩薩として信仰されるようになる。十二仏の一仏であり丑寅生まれの守り本尊でもある

本堂

境内神社

どっしりとした大きな銀杏の木

【アクセス】

住所:埼玉県川越市志多町13-1

交通:西武新宿線「本川越」駅より徒歩約25分、東武東上線・埼京線「川越」駅より徒歩約30分

境内駐車場あり

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