東圓寺(朝霞市)/弘法大師が水を湧かせた不動の瀧

南西部地域
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松光山 東圓寺(とうえんじ)/朝霞市

宗派  真言宗智山派

本尊  薬師如来像

創建  詳細不明

【所有文化財】

  • 板石塔婆
  • 不動の瀧
  • 一夜塚供養塔

地域に古くから薬師堂がありましたが、法印永慶が荒廃していた薬師堂を嘆き、寛弘年間(985~1011)に再建。境内奥の不動堂そばには、弘法大師が地面に杖を突きたて水を湧かせたと伝わる不動の瀧があります

境内案内図:かなり大きな御寺です

袖塀付き山門前には仁王像

右手に立派な鐘楼。緑が多く癒されます

弘法大師、御杖堀霊泉「不動の瀧」は、境内の奥

鮮やかな竹林。緑に映えますね。この竹林が不動の瀧へ繋がります

丸柱に控え柱付き

蟇股彫刻。4面とも違いますね。斧を持つ者、剣を持つ者、四天王とも違うようです

隣に稲荷明神

お稲荷さん。。狐ではなく狸かな?

本堂:RC造の建物、屋根は銅板本葺き

屋根は二軒繁垂木、手挟み、向拝柱には獅子鼻

妻側は二重虹梁、華やかな懸魚付き

埼玉県内に多く見られる板碑はしっかりと守られています

板碑についてはこちらで記事にしています

境内の様子

休み処:丸太が生かされ素敵ですね

一夜塚供養塔

【一夜塚供養塔の由来:抜粋】

昭和18年、大東亜戦争の最中、東京より郷里朝霞に戻ってくる世帯多く、この岡地域、第二小学校の増築を決定。校庭の隣にあった一夜塚を述べ3千人で切り崩し、そこに小学校を建てたのであります。昭和27年、時の先輩達は一夜塚古墳保存会を結成、第二小学校隅に一夜塚古墳群の碑を建立。一方寺には、出土品の一部を埋葬。一夜塚御堂の供養を行い、供養塔を建立。おそらく当時の先輩達は、取り崩された古墳の主に謝罪する一方、その跡地、小学校に学ぶ私共子孫に御霊の御加護をお願いして建てた事と思います

当時の人達の優しさ、御先祖様を大切にする素敵なエピソードですね

山門:不動の滝へ通じています

妻側の様子。銅板で大棟を造り、屋根は膨らみを持たせた茅葺風。貴重な珍しい形式です

薬医門ですね:主柱は角柱、控え柱は丸太の曲線を生かした丸柱

鮮やかな竹林。埼玉に居る事を忘れてしまう

「松光山八十八ヶ所」とされ、左右に弘法大師像や様々な石碑が並びます。

弘法大師像(こうぼうだいし)が88体並んでいるそうで、

「松光山八十八ヶ所第〇番」と彫られています。

ただし、置かれている順番はバラバラ。

思わず順不同に並んだお地蔵様を全部確認したくなりましたが

階段を降りた先に不動堂

RC造、朱塗りの御堂。屋根は銅板平葺き

境内の水鉢には可愛らしく花が飾られていました

山門右手に駐車場あり。交差点から少し入りづらいかもしれませんので気を付けてくださいね

【アクセス】

住所:埼玉県朝霞市岡2-8-92

交通:武蔵野線「北朝霞」、東武東上線「朝霞台」より、徒歩約20分

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