岩殿観音・巌殿山正法寺:東松山市
幹線道路から坂道を登ってゆきます。山門から振り返るとこんな感じ
平成になり参道が整備されると供にかつての屋号が掲げられたそうです「橘屋」「丁子屋」の看板
参道の両側の各家に様々な屋号が掲げられていました
仁王門:仁王像は文化年間(1808-1814年)に再建
奥に本堂が見えます
小屋組。かなり高いところまで千社札が貼られています
受付所は本堂の右奥
側面の木製建具は手漉きガラス。今では貴重です
観音堂は階段の上、息が切れました・・・
茅葺鐘楼:茅葺職人も少なくなり茨城県の霞ケ浦近くに職人さんが僅かにいるそうですよ
梵鐘:元亨2年(1322)鋳造。県指定有形文化財。戦時中は強制的に供出させられた寺院も多かったので大変貴重です。鐘楼:元禄15年(1702)再建。市指定有形文化財。山田茂兵衛氏の寄進によるもの
天気も良く遠くまで見渡せました。空気も澄んで気持ちがいい
坂の上は広くなってます。一息ついて境内を散策
源頼朝の命により比企能員が復興。徳川家康の時代には寺領25石の朱印地を与えられました
源頼朝:観音信仰に篤く坂東三十三観音霊場の制定にも深く関与。坂東つまり現在の関東地方に広がる観音札所。当時札所を制定するにあたり比企氏のお膝元であり、比企能員自身も深く帰依していた岩殿観音が第十番の札所として選定。当時、岩殿観音は開山から300年以上が経過し諸堂の痛みも激しいものがありましたが頼朝の庇護のもと、妻政子の守り本尊として比企能員が岩殿観音を復興。頼朝の没後の正治2年には、亡き頼朝の意志を継いだ政子によって堂宇の再建がなされたと伝わります。(抜粋)
崖に多くの仏様が並びます
奥までかなりの数です
百地蔵堂:弘法大師空海の作と伝わる地蔵菩薩が祀られ、両脇には小さな地蔵菩薩が並びます
薬師堂:寛永年間に焼失、その後再建
観音堂前の狛犬:腕は逞しいですが、優しい顔をしてます
観音堂:明治12年移築。建物は江戸後期と推測されます。屋根は銅板棒葺き、所々に彩色が残っています。建立当時は鮮やかだったのでしょうね
尾垂木の上、隅木になるのかな。先端に龍の装飾
赤い角が見えます
向拝周りの様子
垂木の間、軒天板に千社札。高い所にも隙間なくびっしりです
【アクセス】
住所:埼玉県東松山市岩殿1229
交通:関越自動車道「鶴ヶ島インター」「東松山インター」
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