至登山遍照院天嶽寺(てんがくじ)・前編(越谷市)
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
開山 文明2年(1473年)太田道灌により開基、文明10年(1478年)専阿源照により開山
【寺院紹介】
かつては小田原北条氏の城砦として用いられ北条氏より寺領寄進状を賜る。のちに徳川家康より15石の朱印状が交付。家康公だけでなく2代将軍秀忠、3代将軍家光も鷹狩の際に立ち寄ったと伝わり、5ヶ寺の塔頭を持つ格式高い寺院であった。
四脚門(通称黒門)
黒塗りの門は珍しい、格好いいです。
太田道灌開基、浄土宗総本山直末別格寺説明の碑。関東大震災では大きな被害を受けたようです
不動堂
一対の狛犬が見えました
薬師堂
夫婦地蔵のようです
あおい会館:以前は幼稚園だったとか
朱塗りの楼門
上部の荷重を支える横木の下「蟇股」は『邪鬼』でしょうか。平安時代以降は装飾の意味合いも含まれ様々なデザインが誕生しています
木鼻の彫刻も面白いですね。現代アートのようです
鐘楼:入母屋、銅板平葺き屋根
鐘楼前に少し変わった石塔がありました。「南無阿弥陀仏」の文字が逆になってます
御住職から話を聞く事が出来ました「きっと文字に墨を塗り半紙に写し取ったのでしょう。それを自宅に置いたと思われます」なるほど、納得です
享保18年(1733)建立。享保16年末頃から17年にかけて「享保の大飢饉」がありました。世の中が良くなるよう祈願し建てられたのかもしれませんね
享保の大飢饉:享保16年末頃からから翌17年にかけて悪天候が続き、夏が近付いても気温は低いまま。冷害により稲が育ちませんでした。現在の中部地方や四国、九州北部に当たる地域の被害が酷く瀬戸内海近くの農家が、甚大な被害を受けたそうです。更には「イナゴ」や「ウンカ」などが中国や東南アジアから日本に飛来し大量発生、壊滅的な被害を与えました。死者は約12,000人、飢えに苦しんだ人は2,000,000人近いと言われています。
【後編】に続きます
【アクセス】
住所:埼玉県越谷市越ケ谷2549
最寄り駅:東武伊勢崎線、北越谷駅より徒歩約15分。越谷駅より徒歩約20分
バス:越谷駅東口から朝日バス「花田循環市立病院行」久伊豆神社前下車、徒歩2分
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