足立区:龍燈山 貞香院 性翁寺(しょうおうじ)
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来:東京都指定文化財(平安時代末期から鎌倉時代の作成)
開創 神亀3年(726)、行基菩薩が足立姫菩提所として庵を開く
【寺院縁起】
京都知恩院を総本山とする浄土宗の寺院。寺伝では神亀3年(726)行基菩薩が庵を開いたのが始まりで、足立荘司宮城宰相が開基、明応元年(1429)には西譽龍呑上人(せいよりゅうどんしょうにん)が開山となったと伝える。江戸時代にはいると、阿出川対馬守が中興開基となり、慶安元年(1648)には三代将軍徳川家光から朱印地10石を与えられる格式を持った。本尊の阿弥陀如来坐像は平安時代末期から鎌倉時代初期の作成で、東京都指定文化財。この本尊は悲運の女性・足立姫の菩提を弔うため行基菩薩が作成した六阿弥陀の余りの木で作られたという伝説を持つ。ここから広く女性往生の「木余り寺」として知られるようになり、多くの江戸・東京庶民の参詣地となった。また寺内には永禄13年(1570)の阿弥陀三尊種子板碑をはじめとする8基の板碑や、当時の由来を記した紙本着色性翁寺縁起と性翁寺文書があり、いずれも足立区登録有形文化財となっている。当寺はこのように様々な歴史と文化財に彩られた区内有数の寺院である
山門:大棟の端には鴟尾(しび・とびのお)付。※沓(靴くつ)にも似ている事から沓形とも呼ばれます
本尊の木造阿弥陀如来坐像は、悲運の足立姫の菩提を弔うため行基菩薩が作成した六阿弥陀の余り木で作られた伝説を持つ
足立姫伝説:寺伝によると、この地に居住していた足立庄司宮城宰相の一人娘「足立姫」が嫁ぎ先から引き出物が少ない事を罵られ下女12人と共に荒川に入水し亡くなった。下女の亡骸は見つかったが姫の亡骸は見つける事が出来ず、父庄司は諸国の霊場を巡り紀伊の国:熊野権現にて霊木で仏像を造り供養するお告げを受ける。当時、寺に滞在していた行基菩薩が一夜にして六体の阿弥陀如来像を造り、余った木でさらに阿弥陀如来を彫り足立姫成仏の遺影としたという。これが「木余り如来」と伝わる由縁である
六体の阿弥陀如来像を安置する六ヵ寺巡る「六阿弥陀詣」が江戸の女性達の間で大変流行りました。現在の北区から足立区に点在しています。「一巡六里」と呼ばれていたそうですが、「一里:約3.9キロ」ですから。。。23.4キロ!当時は着物を着て徒歩だった事を考えると大変な距離です。
六阿弥陀詣については恵明寺(足立区)で詳しく書いています。是非ご覧ください
袖塀前に不動明王像
瓦に性翁寺の文字。阿吽の龍
境内一面、イチョウの絨毯のようです
本堂
【アクセス】
住所:東京都足立区扇2-19-3
交通:◆電車 日暮里・舎人ライナー「扇大橋」駅西口より徒歩6分、◆バス コミュニティバス『はるかぜ』「扇小学校北」下車徒歩4分、「扇大橋」駅下車徒歩6分、東武バス「扇大橋駅前」下車徒歩6分、都営バス「江北橋下」下車徒歩4分 ◆車 首都高速「扇大橋」出口より3分
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