関原山不動院 大聖寺(だいしょうじ)関原不動:足立区
宗派 真言宗豊山派
本尊 不動明王
開山 宝徳元年(1449)
【寺院縁起】
本寺は寺跡によると、応永年間(1394~1428)、小宮光徳(こみやこうとく)が関原の地に草堂を建て不動明王を安置。その後天正13年(1583)再建成就して名を「関原山不動院大聖寺」と定めたという。
江戸時代には、江戸の庶民の熱い信仰を受けた。現在の本堂(足立区登録有形文化財)は、嘉永元年(1848)の建立で、区内随一の木造伽藍であるが、これは深川木場の講中が材木その他を寄進して再建されたものである。本堂中央の中の間の天井には99枚の彫刻がある。欅の木目を美しく生かし、彫りも深く、美麗精巧な美術品である。
また、8代目市川團十郎奉納木造提灯扁額(足立区登録有形文化財)は、提灯本体に大きく「8代目」と記され、奉納の目的を父の寿海老人白猿(7代目市川團十郎)が記しており、有名な歌舞伎役者の家である市川家が大聖寺を信仰していた事が伺える。
本寺草創の由来を刻んだ関原不動尊縁起、世に鉄眼版の名で知られる大般若経600巻、文明年間(1469~87)の板碑2基なども蔵し、いずれも足立区登録文化財となっている。その他、本尊の不動明王(秘仏)を中心に八大童子像や百体の小観音像などがある
山門:通常は閉じている様子。車で来たら脇を通り境内へ入れます
関原不動尊の碑:慶長年間
八代目・市川團十郎が奉納した木造提灯扁額「足立区登録有形文化財」所有。市川毛が大聖寺を信仰していた事が伺えます。
八代目・市川團十郎:文政6年(1823)生まれ。生後1ヶ月余りで、新之助の名で舞台に立つ。天保3年(1832)3月、10歳で八代目團十郎を襲名。時代背景として天保の改革の頃、歌舞伎界へも弾圧が始まり江戸の興行界は危機的な時期を迎えますが八代目の人気が凄まじく以前にも増して賑わった総そう。面長で非常な美男子、代々の團十郎とは違った型の風姿。粋で、上品で、色気があり、それでいていや味がなく、澄ましていても愛嬌があった。音声は甲走(かんばし)って高く、さわやかで朗々とした名調子だったと伝わります
関原不動明王、不動尊道、関原山、と刻まれた石碑。
本堂:「足立区登録有形文化財」嘉永元年(1848)建立。深川木場の講中が材木、その他を寄進し8年をかけて再建
屋根も美しい。本堂内の天井は、九十九枚の欅の彫刻で飾られています
妻壁は二重虹梁
向拝周りの様子:当時の大工さんの技術と彫刻美の結集
向拝柱の木鼻彫刻。3体ある本堂は初めて見ました。獅子、獏、麒麟でしょうか。それぞれ脚も違う
角が見えますね
手水舎
軒裏の四面は違う彫刻で飾られています。鳥、龍、虎、蓑亀
天保3年奉納
御堂
百度石:嘉永4年(1851)。お百度参りは通常、「参道の入口から本堂ま」での間を往復しますが、百度石があればそこを基点として本堂までを往復したようです。
一方通行の商店街に面しています。自転車や歩行者も行き交うので十分お気を付けください
【アクセス】
住所:足立区関原2-22-10
交通:東武スカイツリーライン「梅島」 徒歩15分
周辺地図