川越山三芳野院 常楽寺(じょうらくじ):川越市
宗派 時宗
本尊 阿弥陀如来
参道の両脇は梅の木、仁王門前に大きな金木犀が見えます
六地蔵
金木犀の香りのトンネルをくぐり鐘楼門を通ります
見上げると松と龍の彫刻
繁垂木、蟇股、凝った彫刻
仁王像:お寺により鋳物だったり石造だったして違いを見るのも楽しいです
衣の柄が美しい。繊細な筆使いが見られます
見上げると梵鐘がありました。仁王門であり鐘楼門ですね
川越城の城将「大道寺政繁」の子孫・道順入道が寄進しましたが、天明8年(1788)に再建
山門の中に見慣れないものが。レバーの様な物が付いたものは消火器。大きな釜は近隣の醤油工場で使われていた物だそうです
重頼公等三供養塔建立之碑:河越氏が創建が持仏堂が嘉永3年時宗常楽寺に改称されて700年を迎えた平成17年に本堂新築。河越重頼公、源義経、及び源義経の正室となった重頼の息女(京姫)の供養塔
石灯篭には徳川家、三つ葉葵紋。埼玉県内の多くの寺院で増上寺の石灯龍が見られます
増上寺の石灯龍:江戸時代、芝増上寺の徳川墓所に全国の300を超える大名から石灯籠が寄進された。第二次大戦後、増上寺は徳川家の広大な土地を西武鉄道に売却、1964年の東京オリンピック開催にあわせて「東京プリンスホテル」が開業。石灯龍は西武鉄道所有の土地に保管されたが、西武球場を建設する際、多くは埼玉県を中心に東日本の14都道府県、220ヵ所のお寺に移築される。全てが移築されたわけでは無い様で1000基ほどが処分されたとも言われる
「三つ葉葵の紋」、「増上寺・文昭院殿」と刻まれています。文昭院霊廟(6代将軍・家宣の霊廟)は増上寺内にありましたが、東京大空襲で焼失しています
本堂:入母屋屋根、銅板本葺き
寺の敷地は国指定史「河越館跡」でした
河越氏:平安時代の終わり頃から南北朝時代の中頃までの約200年、武蔵野国で大きな勢力を誇った在来領主。源頼朝が伊豆で挙兵すると、河越氏は初め敵対したそうですが、後に御家人となって平家討伐に参戦。河越重頼の妻は源頼朝の乳母・比企尼の次女(河越尼)で源頼朝の乳母。
頼朝の命により、弟の義経に娘郷御前を嫁がせます。しかし文治元年(1185年)、頼朝と義経兄弟の対立に巻き込まれ誅殺されてしまいます。
鎌倉時代後半、館の中に時宗・常楽寺が開山された。とあります
【アクセス】
住所:埼玉県川越市大字上戸194
交通:東武東上線「霞ヶ関」駅北口より徒歩15分
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