無涯山單信院 深廣寺(むがいさんたんしんいん しんこうじ):久喜市
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
開基 元和元年(1615)、後の栗橋宿となる上河辺新田を開墾した並木五郎平(なみきごろべい)
開山 (なみきごろべい)
寺院縁起:久喜市ホームページより抜粋
深廣寺の境内には、2代目住職の単信上人が建立した市指定文化財「六角名号塔」があります。単信上人は上野国(こうずけのくに:現群馬県)に生まれ、菩提寺の大蓮寺(だいれんじ)で仏門に入りました。芝増上寺(しばぞうじょうじ)で修行した後、慶安2年(1649)飯沼(現茨城県常総市)の弘経寺(ぐぎょうじ)から深廣寺の住職に迎えられ、多くの信者に慕われました。
六角形の石塔が21塔並んでいます。圧巻の迫力です
2代目住職:単信上人が伊豆より石を船で持ち帰り承応3年(1654)~明暦3年(1656)の間に20基建立。その後明和3年(1766)に9代目住職法信上人が一基を建立したそうです
六角名号塔とは:久喜市ホームページより抜粋
6面に「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」の6文字が刻まれています。単信上人が三界に迷う衆生(しゅじょう)の得脱(とくだつ)を願い、また近郷の村々の豊作と繁栄を祈り、承応3年(1654)から明暦2年(1657)までにかけて建立した千人供養塔です。この供養塔は高さが約3.6mあり、伝承では、単信上人が幕府の許可を得て石工とともに伊豆に渡り、21基の供養塔を刻んで船で運ぼうとしたところ、上人らを乗せた船は嵐に遭い沈没寸前となりました。上人はこれを供養塔を欲しがる龍神の仕業と考え、1基を水中に投じて龍神を鎮めました。利根川を舟でさかのぼり、無事に栗橋まで辿り着いた上人は20基の供養塔を建立したとされます。
凄いですね、ドラマチックな物語がありました
武州栗橋、深廣寺の文字が見えます
相当な運搬費用、手間もかかったでしょう。当時の御住職の思いが感じられます
本堂:妻入り屋根になっています
20基の宝塔を建てた2代目住職単信上人椅像は久喜市指定有形文化財となっています。群馬県で生まれ菩提寺の大蓮寺(前橋市)で仏門に入り、芝増上寺で学び、深廣寺2代目住職になったとあります。彩色寄木造で75.8センチ
大日如来丸彫座像
穏やかないいお顔をされてます
入口に桔梗が咲いていました
【アクセス】
住所:埼玉県久喜市栗橋東3丁目7−24
交通:JR東北本線・東武日光線栗橋駅から徒歩約10分
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