龍燈山永福寺(りゅうとうざん えいふくじ):杉戸町
宗派 真言宗豊山派
本尊 阿弥陀如来
創建 天平勝宝5年(753年)、行基により開基
どじょう施餓鬼で有名。過去、施餓鬼法要の時期には多くの僧侶が集まり、関東一円から多くの方が来る為専用列車が走ったそうです。沢山の屋台でいっぱいになり大変賑わいました
縁起看板
当山の縁起「龍燈山伝燈紀」によれば往古は阿弥陀寺と称し。本尊は神亀3年(726)行基菩薩の作であると伝えられている。中興開山は、第四十九世覚宥(かくゆう)で応永十五年(1408)に入寂した。第五十一世日尊(にっそん)が父の因幡前史藤原長福の罪業の消滅を願って施餓鬼をいとなみ龍燈山長福密寺と改められた。その後、五代将軍綱吉の頃、永福寺と改められた。毎年八月二十二日と二十三日に行われる施餓鬼は、関東三大施餓鬼の一つといわれている。また、因幡池にどじょうを放って供養することから「どじょう施餓鬼」としても知られる
詳しくお寺のホームページで調べたところ・・大施餓鬼の起源は約600年前、 明徳 3年(1392)7月23日にさかのぼります。
時の高野城主長福朝臣(ながとみあそん) という殿様は政治を怠り酒におぼれ、目の見えない人や、足の悪い人、鎌倉街道を通る人などを殺していました。このため殿様の奥様は深く嘆き、
子供の藤王を訓戒教育させる為に比叡山へ上らせ自らは自害してしまいました。数年後、藤王は名前を日尊上人と改め高野城に戻り、父長福候を諫めて阿弥陀を再建。阿弥陀寺落慶法要の折に長福候は落馬、一中夜苦しみ続け亡くなります。
朱塗りの山門
袴型鐘楼:軒裏は二軒、扇垂木
本堂:百日紅の花が満開でした
向拝の様子:4本の柱が立ちます
向拝虹梁:左右共に虎の彫刻。丸みのある可愛らしい虎ですね
中央は迫力の龍
唐破風には天女様
手挟みには細かな龍の彫刻
コロナ以降、大規模な施餓鬼法要は行われていませんが過去の様子はこちら。境内には多くの出店、本堂内には御塔婆を受け取りに来る方で溢れ、法螺の音を合図として御堂では太鼓が鳴り賑やかでした。
施餓鬼は毎年、8月22,23に開催されます
どじょうが龍に似ているところから龍にたとえられ、どじょうの背中に乗ってご先祖様が極楽浄土へ旅立つために、どじょうを池に放しています
何故、どじょう施餓鬼と呼ばれるか?
どじょうが龍に似ているところから龍にたとえられ、どじょうの背中に乗ってご先祖様が極楽浄土へ旅立つ為にどじょうを池に放した、と伝わるそうですよ
【アクセス】
住所:埼玉県北葛飾郡杉戸町下高野396
交通:東武伊勢崎線:「和戸」駅より徒歩約15分、東武日光線「杉戸高野大台」駅より徒歩約15分
周辺地図